2009/02/22

アップロードしてみてごらん

製作した曲が多くなってきたので、そろそろ次のステップへつなげてみようと、ニコ動へ初UPしてみました。(後記:マイリス整理のついでに8月に削除)


次のステップというのは、魚釣りにたとえると、釣堀や池や沼から大河や海へ、己の帯域を、半ば強引に広げること。ラジオ放送などの通信で言えばAMやFMからそれ以上の、もっともっとそれ以上の高周波において、受信のみならず、発信までしてしまうことくらいの大冒険。

詳しい下調べをしないままだったのと、テストを重ねなかったせいですね。UP後に繰り返し聴いてみると、結構「雑」なことがよくわかります。倍音が不協和音を発生させたりね。

映像はもとより承知だったけど、止め絵のままじゃ絶対しかられちゃうよねと、WMM(ウィンドウズムービーメーカー)で何枚か重ねて、画面切り替え効果を挿入して作ったものなんですが、データに対しての中間工程と、それに関する知識のないままに直接データ変換ツールでflv形式に変換して、そのままUPしたのです。

ムチャクチャ重いというコメントを貰いました(この時点で5行あるコメントのうち、他の4行は自分が入れたコメントです。)ありがたいです。とてもありがたいです。

UP時使用したPCはクアッドコア(音楽作りやイラスト作りに使用しているPC)

コメントをもらってUP後視聴したPCは、①ポータブルスリムのCore2Duo(2G)、②10年以上使用しているPen4(1G)、③とあるネットカフェにおけるゲーム用スペックマシンNEC MATEのPenD(2G)です。

ネットワーク回線は①ADSL、②JCOM、③たぶん光です。このうち、動画を再生する上で自分が「パフォーマンスが重い」と感じたのは①で、他はクアッドでUPしたときとほとんど区別がつかなかったです。

ついでに言うと、前述の「倍音」に気がついたのも、コメントいただいて、②で視聴したのが最初。

おかげで、「仕上げ」や「テスト」の重要性を痛感したのと、なにより、使用したピアノ(ソフト音源)の特性がわかりましたです。ありがとうございます。

ってか、曲想自体「ムチャクチャ重い」ってことだったのかもしれないけれど・・・
それはこちらの仕様です(うそうそ、そのうちニコチンのないものも作りますですよ。)

で、この曲は現在製作した最新のものなんですが、他のはどうしようかな・・・
動画に関しては、当面は、うまい仕上げ方を構築するために勉強しますです。
(作業の中身はひたすらググることになりますが)

後記:今週わけあって3夜連続でネットカフェの灰スペックマシンにおける視聴を重ねていました。その折にニコニコのコミュニティライブで、どんな曲が流れているか聴くことができ、なるほど、音楽にも閾値みたいなものがあって、鳴らす流すだけじゃ聴かれる方を動かすことはできないし、もっと勉強しなくちゃなんだねーとしみじみ。

今後の修正予定、ピアノパートでの各音の長さ調整とダイナミクスおよびベロシティ調整(もっとメリハリつけて、ライブに近づける)あとセパレートもか・・・何日かかるかわからないけど、次がんばってやってみよう。


(絵も多少工夫しやろう)←クリアってか、最初から構想にあったりもしてた。
(ある程度熟成して・・・あとはflvの画像サイズの変換とかかなあ)←とりあえずクリア・・・かな??

2009/02/11

Cicadas のこと


(この投稿は原文より抜粋、一部手を加えてあります。原文の投稿はこちら

「創作」と書くとなんか格式張ったとらえかたをされることだってあるのかもしれませんね。今風の言葉で表せば、それ的な人のことを、クリエイターとでも言うんでしょうか。でもそんなかっこいい印象も自覚もありません。

今回は、Cicadas の創作に関する部分がどんなもんかを書いておきます。

これはいわば「自分発掘」です。

申し遅れました
「 Cicadas 」は、ネット上で多用しているハンドルネームです。
画面のこちら側にいてこの記事を書いている人は、日本人で、今は札幌市に住んでいます。
・・
何十年も前になりますが、(年齢いくつなんこいつというのはこの際なしで)
Cicadas の少年時代(あったんだよ!)漫画描いて遊んでました。

漫画といっても、鉛筆で、わら半紙ノート(枚数が100枚くらいあって、週間漫画誌みたいな束ね方をされた100円くらいのB5ノート、最近ではその変化形として、一見文庫だけど実はメモ帳?とかが無印商品のブースや100円ショップで売っていたりしますが、それのぼろくて大きなやつ)に、落書きしてました。

そのころは、きっちりとした絵ではありません。思い起こせばそれは、脚本の材料になるようなメモ程度のものにはなっていたかと思いますが、コマ割りも何もかもフリーハンドだったし、誰にも見せられないような、ざくっとしたものでした。

描いているうちに、その設定とか世界観とか、エピソードとかをメモして置くようになって、いくつか溜まってきては、それらを整理するつもりで、日記の継ぎ足しみたいな風にして書く。

しまいには、整理できたのかどうかわからないうちに、日記帳(日付の区割りがないページ数の多めなやつ)を買ってきて、それにまた書き起こす・・・そんな風にして、私の「創作的なこと」は始まったようです。

惜しむらくは、それらの殆どが、すでに捨ててしまっているものなのですが、いっぺん創り出した世界ってのは、それにのめりこんだことが一時(いっとき)でもあったからでしょうか、なかなか忘れないものですね。

断片的なものは幾つか残っているので、道具の発展したこの期に、いつかサルベージしてやろうとたくらんでいたりします。

PCで絵を描く(俗に「お絵かき」と呼ばれます。)のは、ペンタブレットが開発されたかしないかくらいのころからです。アプリケーションは SuperKid とか、 Artschool とかがありました。
だいたいポートレート(人の正面の顔と肩から胸までくらいのもの)を、アニメの原画描き気取りで描いていました。
「気取り」でしたから、これもやはり、人様に見せられるようなものではあリません。(ほとんど色つけていなかったし)

また、そのころのデータを MD にとっておいたはずなんですが、現在のフォーマットとは異なるため、これがどうも読み込めない。

これもいつか時間的な余裕ができたら、発掘しようと思います。(その頃のDOS7とかOSがまだどこかにしまいこんであるはずなんだ。)

さて、世界観やエピソードの書き溜めは、だいたい PCでお絵かきをやり始めたころまで続きます。が、どれもこれも、仕事から帰っての夜とか土日祝日などの余暇にやっていた(いまやっていることも同じこと)ものですので、進歩度も、完成度もあったもんじゃないのです。

また、物書き気取りで、詩を書いたり・・・それさへ日記的な感覚でした。

そうこうしているうちに、世は Web幾つかどっと0の時代となって、PCを媒介して、あらゆる情報が世界中を巡るようになります。
ここ数年は、目が回るほど変化していますね。

すると、なんだか、コンテンツを提供する側(広義のメディア)が、危機感を抱き始めているのでしょうか、2008年末頃になって強く感じていることですが、「提供したいコンテンツが足りない」状況に陥っているのではと考えるようになります。

創造にこそ需要が高まる・・・それは、
考えようによっては、「文化的な危機」とも言えると考えますので、もはやそうなると、どうも捨てられないのです。(←創造心が)

去年からやりだした DTM ですが、音楽のほうは、だいたい中学生の頃ブラスバンド部(ブラバンと略称されることがある)に入っていましたし、兄貴の影響でアコースティックギターもジャカジャカ弾いていましたので、その頃の素地が、だいたい今の作曲に影響しているのだと思います。

特に習い事はありません(次男は結構この点あとまわしにされていた風潮にあったようです)
ただ、いくつになっても、感受性は強い。これは自他共に認めるところです。

あ、今ふと思った。
(なにごとも捨てられずにいるような性格ともいえるんじゃないか?)と・・・

で、いいかげん長くなって、申し訳ありません。
途中の細かなことは省略しておいて・・・

現在ピアプロに加入しています。そして、幾つかの音楽とイラストなど(コンテンツと呼ばれている)を投稿し、今のこの状態に至ります。

ピアプロにおける活動は2008年夏から開始しています。それまでの数年間は、創作活動はほとんど休眠状態だったのですが、現在も細々とながらも続けている、とあるMMORPGをも通して、コミュニティの有り様や、Web上に展開される「あること」について、いろいろ考察しながらの毎日です。

MMORPGについては、この記事の冒頭で、それ用のブログにて紹介してありますから、興味のある方は、そちらを参照してください。(数あるゲームの中で、1つしかやっていませんが)

2009/02/06

創作ってなんだろうと考えてみた


・・
Creator を翻訳すると「創造者」と出てきます。
なんか大げさですね。

絵(イラストなど)を描き、文章を書き、詩を書き、作曲したり・・・
これらは創作物 (Creation thing)です。

ビデオや、演奏(該当ライブなども含む)、ブログ記事も、それに該当します。
「アート」などは、それらの1分類に過ぎないと思います。

ノートに鉛筆で書き溜める。回覧板にはんこを押す又はサインする。
そんなのも、とらえかたによっては、創作なのかもしれません。

どんな形態をもってしても、それが個人の持つ「何か」の全てだったり、一部だったりする。
今は、だいたいそのようなものかなと考えています。

なぜそのような考えなのかを説明するのには、結構時間が必要なようです。(整理しなきゃだ。)

実は、先ほど、私が現在行っている創作に至るまでのことを別ブログで記事にしました。

いずれそれを若干こっちに持って来ますので、それを起点に、この考察は続けていこうかと思います。