(この投稿は原文より抜粋、一部手を加えてあります。原文の投稿はこちら)
今回は、Cicadas の創作に関する部分がどんなもんかを書いておきます。
これはいわば「自分発掘」です。
申し遅れました
「 Cicadas 」は、ネット上で多用しているハンドルネームです。
画面のこちら側にいてこの記事を書いている人は、日本人で、今は札幌市に住んでいます。
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何十年も前になりますが、(年齢いくつなんこいつというのはこの際なしで)
Cicadas の少年時代(あったんだよ!)漫画描いて遊んでました。
漫画といっても、鉛筆で、わら半紙ノート(枚数が100枚くらいあって、週間漫画誌みたいな束ね方をされた100円くらいのB5ノート、最近ではその変化形として、一見文庫だけど実はメモ帳?とかが無印商品のブースや100円ショップで売っていたりしますが、それのぼろくて大きなやつ)に、落書きしてました。
そのころは、きっちりとした絵ではありません。思い起こせばそれは、脚本の材料になるようなメモ程度のものにはなっていたかと思いますが、コマ割りも何もかもフリーハンドだったし、誰にも見せられないような、ざくっとしたものでした。
描いているうちに、その設定とか世界観とか、エピソードとかをメモして置くようになって、いくつか溜まってきては、それらを整理するつもりで、日記の継ぎ足しみたいな風にして書く。
しまいには、整理できたのかどうかわからないうちに、日記帳(日付の区割りがないページ数の多めなやつ)を買ってきて、それにまた書き起こす・・・そんな風にして、私の「創作的なこと」は始まったようです。
惜しむらくは、それらの殆どが、すでに捨ててしまっているものなのですが、いっぺん創り出した世界ってのは、それにのめりこんだことが一時(いっとき)でもあったからでしょうか、なかなか忘れないものですね。
断片的なものは幾つか残っているので、道具の発展したこの期に、いつかサルベージしてやろうとたくらんでいたりします。
PCで絵を描く(俗に「お絵かき」と呼ばれます。)のは、ペンタブレットが開発されたかしないかくらいのころからです。アプリケーションは SuperKid とか、 Artschool とかがありました。
Cicadas の少年時代(あったんだよ!)漫画描いて遊んでました。
漫画といっても、鉛筆で、わら半紙ノート(枚数が100枚くらいあって、週間漫画誌みたいな束ね方をされた100円くらいのB5ノート、最近ではその変化形として、一見文庫だけど実はメモ帳?とかが無印商品のブースや100円ショップで売っていたりしますが、それのぼろくて大きなやつ)に、落書きしてました。
そのころは、きっちりとした絵ではありません。思い起こせばそれは、脚本の材料になるようなメモ程度のものにはなっていたかと思いますが、コマ割りも何もかもフリーハンドだったし、誰にも見せられないような、ざくっとしたものでした。
描いているうちに、その設定とか世界観とか、エピソードとかをメモして置くようになって、いくつか溜まってきては、それらを整理するつもりで、日記の継ぎ足しみたいな風にして書く。
しまいには、整理できたのかどうかわからないうちに、日記帳(日付の区割りがないページ数の多めなやつ)を買ってきて、それにまた書き起こす・・・そんな風にして、私の「創作的なこと」は始まったようです。
惜しむらくは、それらの殆どが、すでに捨ててしまっているものなのですが、いっぺん創り出した世界ってのは、それにのめりこんだことが一時(いっとき)でもあったからでしょうか、なかなか忘れないものですね。
断片的なものは幾つか残っているので、道具の発展したこの期に、いつかサルベージしてやろうとたくらんでいたりします。
PCで絵を描く(俗に「お絵かき」と呼ばれます。)のは、ペンタブレットが開発されたかしないかくらいのころからです。アプリケーションは SuperKid とか、 Artschool とかがありました。
だいたいポートレート(人の正面の顔と肩から胸までくらいのもの)を、アニメの原画描き気取りで描いていました。
「気取り」でしたから、これもやはり、人様に見せられるようなものではあリません。(ほとんど色つけていなかったし)
また、そのころのデータを MD にとっておいたはずなんですが、現在のフォーマットとは異なるため、これがどうも読み込めない。
これもいつか時間的な余裕ができたら、発掘しようと思います。(その頃のDOS7とかOSがまだどこかにしまいこんであるはずなんだ。)
さて、世界観やエピソードの書き溜めは、だいたい PCでお絵かきをやり始めたころまで続きます。が、どれもこれも、仕事から帰っての夜とか土日祝日などの余暇にやっていた(いまやっていることも同じこと)ものですので、進歩度も、完成度もあったもんじゃないのです。
また、物書き気取りで、詩を書いたり・・・それさへ日記的な感覚でした。
そうこうしているうちに、世は Web幾つかどっと0の時代となって、PCを媒介して、あらゆる情報が世界中を巡るようになります。
ここ数年は、目が回るほど変化していますね。
すると、なんだか、コンテンツを提供する側(広義のメディア)が、危機感を抱き始めているのでしょうか、2008年末頃になって強く感じていることですが、「提供したいコンテンツが足りない」状況に陥っているのではと考えるようになります。
ここ数年は、目が回るほど変化していますね。
すると、なんだか、コンテンツを提供する側(広義のメディア)が、危機感を抱き始めているのでしょうか、2008年末頃になって強く感じていることですが、「提供したいコンテンツが足りない」状況に陥っているのではと考えるようになります。
創造にこそ需要が高まる・・・それは、
考えようによっては、「文化的な危機」とも言えると考えますので、もはやそうなると、どうも捨てられないのです。(←創造心が)
去年からやりだした DTM ですが、音楽のほうは、だいたい中学生の頃ブラスバンド部(ブラバンと略称されることがある)に入っていましたし、兄貴の影響でアコースティックギターもジャカジャカ弾いていましたので、その頃の素地が、だいたい今の作曲に影響しているのだと思います。
特に習い事はありません(次男は結構この点あとまわしにされていた風潮にあったようです)
ただ、いくつになっても、感受性は強い。これは自他共に認めるところです。
あ、今ふと思った。
(なにごとも捨てられずにいるような性格ともいえるんじゃないか?)と・・・
で、いいかげん長くなって、申し訳ありません。
考えようによっては、「文化的な危機」とも言えると考えますので、もはやそうなると、どうも捨てられないのです。(←創造心が)
去年からやりだした DTM ですが、音楽のほうは、だいたい中学生の頃ブラスバンド部(ブラバンと略称されることがある)に入っていましたし、兄貴の影響でアコースティックギターもジャカジャカ弾いていましたので、その頃の素地が、だいたい今の作曲に影響しているのだと思います。
特に習い事はありません(次男は結構この点あとまわしにされていた風潮にあったようです)
ただ、いくつになっても、感受性は強い。これは自他共に認めるところです。
あ、今ふと思った。
(なにごとも捨てられずにいるような性格ともいえるんじゃないか?)と・・・
で、いいかげん長くなって、申し訳ありません。
途中の細かなことは省略しておいて・・・
現在ピアプロに加入しています。そして、幾つかの音楽とイラストなど(コンテンツと呼ばれている)を投稿し、今のこの状態に至ります。
ピアプロにおける活動は2008年夏から開始しています。それまでの数年間は、創作活動はほとんど休眠状態だったのですが、現在も細々とながらも続けている、とあるMMORPGをも通して、コミュニティの有り様や、Web上に展開される「あること」について、いろいろ考察しながらの毎日です。
MMORPGについては、この記事の冒頭で、それ用のブログにて紹介してありますから、興味のある方は、そちらを参照してください。(数あるゲームの中で、1つしかやっていませんが)
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